2023年1月21日~22日の2日間、2022年日本ベテランズ国際柔道大会(第17回日本マスターズ柔道大会)が講道館で開催されます。
最後に開催されたのは2019年の5月の福井大会ですから、3年8か月振りの開催です。


計量当日、母校日大藤沢高校で調整稽古をやりました。
高校生も翌日に高校選手権団体戦の神奈川県予選を控えており、試合に向けて良い稽古ができました。
その後スーパー銭湯で汗を流し、講道館に向かい、無事に計量をパス。
受付も終了し、翌日の試合は11時ごろと言われました(翌日、これが間違いだと知ります)
いったん帰宅し、翌日に向け鋭気を養いました。
翌朝、9時半に講道館に着き、着替えて準備運動を始め、10時40分前には7階の大道場に上がりますが、どう見ても試合進行が遅いです。


ここで、係の人に伝えられた時間が間違っていることに気づきます。

母校のボンネルを久しぶりに纏いました。あったかい。
ということで、私の試合開始は13時でした。
組み合わせは1回戦はシードされ、準々決勝からです。


初戦の相手は佐賀県の柿原清剛選手。
柿原選手は中学、高校と60キロ級の強化選手で、大学は鹿屋体育大学出身というエリート。
2018年日本ベテランズ国際柔道大会M4クラス60キロ級のチャンピオンです。
初戦を右袖釣り込み腰で一本勝ちしています。
組手は左の相四つ。
初戦ということで慎重に入ります。
組み合い、前に引きずりだしながら巴投げを打つも防がれてうつ伏せになり待て。
再開後、引手を抑えると柿原選手が切り離してしまい指導。
次いで同じような展開で再び指導。
私らの年代では、このように組手を切るのは常套手段で、身に沁みついています。
恐らく、癖が抜けていないのだと思います。
3度同じような切り方をされるも主審はスルー。
引手を抑え、釣り手で奥を狙いながらプレッシャーを掛けつつ、時計を進めることに。
そしてそのまま時間となり、指導2による優勢勝ち。
組手で上回ったのが勝因でした。
続く準決勝は島根県の田中敏通選手。
これまた左の相四つです。
偶然、午前中に試合を待っている間に声を掛けられ、少しお話をしたのですが、その際の話の内容が「初めての参加で、よくわからないんですよ~」というようなホンワカした感じでした。
私はこの瞬間「柔道部物語」の三五十五選手が、初めてインターハイに出た時のやり取りを思い出し、実際に試合をしたらやりにくいのかもしれないな~なんて思っていたのです。
まさに、その予感は的中でした。
試合は慎重に入りますが、リーチ、組力ともにある選手でした。
組み合っての展開となり、盛んに足を飛ばすと、それを狙われました。
小内払いに入ったタイミングで右の出足払いを受け、横倒しとなり技ありを奪われます。
佐賀の日本ベテランズでやられたのと同じ展開です。
ここから挽回せんと、積極的に組み内股、巴と攻めるも、防御をしっかりと固められ有効に攻めることが出来ませんでした。
肩越しに背中にアプローチしたり、支えを交えたりという変化技を入れなければいけませんでしたね。
しかし、直前の稽古を積めなかったこともあり、体力的に限界でした。
そんなこんなで指導1は挽回するも優勢負け。
決勝に上がって、愛媛の日本ベテランズの雪辱を西尾選手に果たすということは達成出来ず。
3位で終了しました。

鎌倉柔道協会の関係者は私を含め6名エントリーし、優勝1名、3位4名と健闘しました。
特に優勝した小池絵里奈選手は、対戦相手が現役の57キロ級のフィリピンチャンピオンで、昨年末のグランドスラム東京にも出場した選手。

規定では日本代表者の出場は認められていませんが、海外の代表者は参加資格があると言うことで、こんな組み合わせが実現しました。
これに見事勝利したのですが、小池選手も皇后盃の関東地区大会に出場する選手ですから、どっちもどっちですよね。
今回も出場にあたり、ホームの鎌倉柔道協会の他、母校日大藤沢高校、錬成塾、大和柔勇会などにお世話になりました。
また、私に関わった方全てにこの場を借りて御礼申し上げます。
新型コロナも問題で、稽古をやりにくい環境となり、なかなかモチベーションも上がりませんでしたが、何とか再び日本ベテランズの試合場に戻れました。
目標とした2連覇は達成出来ませんでしたが、それもこれも自分の準備不足に力不足が招いたものですから致し方ありません。
いつの日か世界ベテランズの舞台に立ち、テッペンを取れるようになるために、日々精進したいと思います。


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最後に開催されたのは2019年の5月の福井大会ですから、3年8か月振りの開催です。


計量当日、母校日大藤沢高校で調整稽古をやりました。
高校生も翌日に高校選手権団体戦の神奈川県予選を控えており、試合に向けて良い稽古ができました。
その後スーパー銭湯で汗を流し、講道館に向かい、無事に計量をパス。
受付も終了し、翌日の試合は11時ごろと言われました(翌日、これが間違いだと知ります)
いったん帰宅し、翌日に向け鋭気を養いました。
翌朝、9時半に講道館に着き、着替えて準備運動を始め、10時40分前には7階の大道場に上がりますが、どう見ても試合進行が遅いです。


ここで、係の人に伝えられた時間が間違っていることに気づきます。

母校のボンネルを久しぶりに纏いました。あったかい。
ということで、私の試合開始は13時でした。
組み合わせは1回戦はシードされ、準々決勝からです。


初戦の相手は佐賀県の柿原清剛選手。
柿原選手は中学、高校と60キロ級の強化選手で、大学は鹿屋体育大学出身というエリート。
2018年日本ベテランズ国際柔道大会M4クラス60キロ級のチャンピオンです。
初戦を右袖釣り込み腰で一本勝ちしています。
組手は左の相四つ。
初戦ということで慎重に入ります。
組み合い、前に引きずりだしながら巴投げを打つも防がれてうつ伏せになり待て。
再開後、引手を抑えると柿原選手が切り離してしまい指導。
次いで同じような展開で再び指導。
私らの年代では、このように組手を切るのは常套手段で、身に沁みついています。
恐らく、癖が抜けていないのだと思います。
3度同じような切り方をされるも主審はスルー。
引手を抑え、釣り手で奥を狙いながらプレッシャーを掛けつつ、時計を進めることに。
そしてそのまま時間となり、指導2による優勢勝ち。
組手で上回ったのが勝因でした。
続く準決勝は島根県の田中敏通選手。
これまた左の相四つです。
偶然、午前中に試合を待っている間に声を掛けられ、少しお話をしたのですが、その際の話の内容が「初めての参加で、よくわからないんですよ~」というようなホンワカした感じでした。
私はこの瞬間「柔道部物語」の三五十五選手が、初めてインターハイに出た時のやり取りを思い出し、実際に試合をしたらやりにくいのかもしれないな~なんて思っていたのです。
まさに、その予感は的中でした。
試合は慎重に入りますが、リーチ、組力ともにある選手でした。
組み合っての展開となり、盛んに足を飛ばすと、それを狙われました。
小内払いに入ったタイミングで右の出足払いを受け、横倒しとなり技ありを奪われます。
佐賀の日本ベテランズでやられたのと同じ展開です。
ここから挽回せんと、積極的に組み内股、巴と攻めるも、防御をしっかりと固められ有効に攻めることが出来ませんでした。
肩越しに背中にアプローチしたり、支えを交えたりという変化技を入れなければいけませんでしたね。
しかし、直前の稽古を積めなかったこともあり、体力的に限界でした。
そんなこんなで指導1は挽回するも優勢負け。
決勝に上がって、愛媛の日本ベテランズの雪辱を西尾選手に果たすということは達成出来ず。
3位で終了しました。

鎌倉柔道協会の関係者は私を含め6名エントリーし、優勝1名、3位4名と健闘しました。
特に優勝した小池絵里奈選手は、対戦相手が現役の57キロ級のフィリピンチャンピオンで、昨年末のグランドスラム東京にも出場した選手。

規定では日本代表者の出場は認められていませんが、海外の代表者は参加資格があると言うことで、こんな組み合わせが実現しました。
これに見事勝利したのですが、小池選手も皇后盃の関東地区大会に出場する選手ですから、どっちもどっちですよね。
今回も出場にあたり、ホームの鎌倉柔道協会の他、母校日大藤沢高校、錬成塾、大和柔勇会などにお世話になりました。
また、私に関わった方全てにこの場を借りて御礼申し上げます。
新型コロナも問題で、稽古をやりにくい環境となり、なかなかモチベーションも上がりませんでしたが、何とか再び日本ベテランズの試合場に戻れました。
目標とした2連覇は達成出来ませんでしたが、それもこれも自分の準備不足に力不足が招いたものですから致し方ありません。
いつの日か世界ベテランズの舞台に立ち、テッペンを取れるようになるために、日々精進したいと思います。

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