私が柔道を始めた頃、既に全日本のトップ選手として活躍されていた先生です。

1984年のロサンゼルスオリンピック86キロ級の銅メダリスト。
3回戦で、オリンピック2大会連続(ロサンゼルス、ソウル)で金メダルを獲得したペーター・ザイゼンバッハー選手に敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がり、銅メダルを確保。
当時のザイゼンバッハー選手は、そこまで強豪と思われておらず、まさかの敗戦であったと記憶しています。
野瀬先生とは直接の面識等はありませんが、86キロ級ながら自らを追い込み、32歳でオリンピック出場するなど、息の長い選手でした。
鎌倉柔道協会にも、野瀬先生の教え子の先生がいられますが、埼玉大での逸話をいくつか聞かせていただきました(笑)
指導者としての変遷が書かれており、自分自身も注意しなければいけないな~と思いました。
一見の価値がありますね。
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当時のザイゼンバッハー選手は、そこまで強豪と思われておらず、まさかの敗戦であったと記憶しています。
野瀬先生とは直接の面識等はありませんが、86キロ級ながら自らを追い込み、32歳でオリンピック出場するなど、息の長い選手でした。
鎌倉柔道協会にも、野瀬先生の教え子の先生がいられますが、埼玉大での逸話をいくつか聞かせていただきました(笑)
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