春の選手権の出場権を獲得し、年末年始は強化練習に明け暮れました。

年末は千葉県勝浦の国際武道大学まで練習試合に出掛けていました。


しかし、このとき私は絶不調に陥り、もがき苦しんでいたのです。
国際武道大学では、滋賀県の比叡山高校と練習試合をやったのですが、ボロボロにされました。

とにかく、体が動かない。
もう、訳分かりません。


今思えば、疲れが溜まっていたのかも知れませんね。

年が明け、今度は横須賀学院で練習試合です。

相手は、群馬の常盤高校のエース須藤選手。

須藤選手は群馬の重量級のチャンピオンだったと思います。


絶不調な私は、この試合で怪我をしてしまいました。


胸鎖関節の脱臼です。
最初の試合で怪我をして、調子の悪さに拍車が掛かりましたよ。


その後の練習試合もボロボロ。

何とか終わりまで試合はやりましたが、帰宅するころには、手が上がらず、動けなくなっていました。


掛かりつけの杉田外科に行くと、脱臼しているな~と。


ここから、ドクターストップです。

約1ヶ月間稽古を休みましたよ。


2月の関東大会の直前の1週間前位にに復帰しましたが、なんだか調子がいいんです。
体が軽く、動きも俊敏です。


そんなこんなで、試合突入。

関東大会1回戦 対千葉商大付属

1回戦は千葉県2位の千葉商大付属。

ここには、関口選手という強い選手がいました。

あの、吉田秀彦選手を中学時代に破っている選手です。
このとき、我がチームは怪我人だらけで、当時のレギュラーは私のみ。


非常に苦しい戦いを強いられました。

オーダーは、
先鋒  松澤兄
次鋒  松澤弟
中堅  私
副将  坪井
大将  金子だったかな?

先鋒の松澤兄が一人抜き、2人目を引き分け。

松澤弟が、相手のポイントゲッター関口選手と殊勲の引き分け。

私の出番です。

相手の副将は私よりも二周りは大きい、100キロ位の選手。

猛攻するも明確なポイントを上げられず、引き分けかと思いましたが、僅差の判定勝ち!

続いて大将です。

これまた大きい、120キロ!

ここで、稽古不足の影響が。

息が上がり、押さえ込まれて1本負け。

副将坪井がきっちり引き分け、、1人残しで、千葉商大に勝ちましたよ。

続いて2回戦は、古田杯で完膚なきまでにやっつけられた作新学院です。
試合前に、先生から、「お前だけでもいいところ見せて来い!」と気合を入れられたのを覚えています。


関東大会2回戦 対作新学院

11月の古田杯で完膚なきまでに叩きのめされた作新学院戦です。


この年の作新学院は大型チーム。のちのインターハイでは、ベスト4に残りました。


対してうちのチームは、当時のレギュラーが4人欠け私のみ。
その私も、怪我から復帰したばかり。



最初から勝負は見えていたと誰しも思っていました。



先生からも、「お前だけいいところ見せろ!」と気合を入れられる始末。



そんな訳で、私が先鋒です。


相手は作新学院の主将で、95キロ以下級の高校強化選手の榊原選手。


主将対決です!(私は71キロ以下級の選手です)




体重差はあるものの、同じ左組みということもあり、厳しく組み手を行い、先に先に攻めることで有利に試合を進めます。



当時、先生からは、
「気持ちで負けない、組み負けない、攻め負けない」
と教えられ、それを実践できた数少ない試合だったと思います。



あっという間に4分間が終わり、旗判定です。


目立つポイントはなかったと思いましたが、私の旗が上がっています!



あれ、僅差の判定勝ち!?




続いて2試合目です。



相手は1学年下の井上選手。
この選手も95キロ以下級の選手です。
しかも、翌年の国際高校選手権の日本代表となった選手。



右組みの井上選手に対し、私は左組みのケンカよつ。



私が先に内股で攻めたところを、返されて有効を取られました。


しかし、この時あんまりあせっていませんでした。


相手の右手の上から左手を組み、右襟を掴みます。
ここで、郡山の夏合宿で覚えた奇襲技の腕固めを狙います。



すると、これがものの見事に決まりました。



逆転の1本勝ちです。



思わずガッツポーズが出ましたよ。
今なら、リベンジ成功といったところですね。



2人抜いて自分的に満足してしまった。
スタミナも切れ掛かっていたこともあり、さらに3人目はこれまた95キロ超級の高校強化選手で、1学年下ながら作新学院のエース金井選手ということで、最初から諦めていました。



つまり、気持ちで負けていたんです。
同じ負けるにしても、少しでも疲れさせていれば、展開は変わっていたはず。
それだけに、悔いが残ります。


そんな気持ちで行った試合は、あっけなく押さえ込まれ1本負けです。


これで、流れが一変。


宮本功三、松澤嘉信、金子勉と惜しい試合が続きますが、全て抜かれてしまいました。


そして、大将の坪井正人。
金井選手もさすがにヘロヘロ。
途中の松澤にはポイントを取られるなど、苦戦しました。


確か、坪井もポイントを取ったはず。


しかし、底力がありましたね。
最後は豪快に投げられ1本負け。
ベスト16で敗退です。



諦めていた試合が、自分だけはと諦めずに戦ったら、レギュラーがいなくても、もう少しで勝てるところまでいったのです。
それだけに、悔しかった。


この試合に勝ったら全国大会でした。
やりきった感と、悔しい気持ちと入り乱れる、複雑な心境でしたね。


作新学院もこの試合で力を使い、次のベスト8で敗退しました。


ベスト4でオール日大で優勝した日大一高が世田谷学園と激突。
吉田秀彦選手に5人抜きされたのを覚えています。


やっぱり、バケモノですね~。


決勝は世田谷学園と東海相模だったのかな?
これはあんまり覚えていませんが、世田谷学園が優勝したのは覚えています。


神奈川からは東海相模と桐蔭学園が全国大会に出場です。
一度でいいから、高校時代に日本武道館で試合をやりたかったな~。