湘南地区大会を団体、個人ともに優勝で通過し、いよいよ全国へ向けての県大会です。


場所は、岸根の県立武道館。


まずは団体戦。


相手は神奈川中学(神奈中ですが、バス会社ではありません)。


この中学には、のちに高校の同期になる奴がキャプテンでいました。
確か、メンバー5人全員が初段だったと思います。
うちのチームは初段0名。


試合は1-4で完敗。
私以外全員負けました。
私のチームは体も小さく、経験者も少ないので県大会に出場できただけでも今思えば凄いことです。
この時から、普段の努力の継続が大切だと刷り込まれていたんでしょうね。



頭を切り替え、個人戦です。
65kg級にエントリーしました。
湘南地区の決勝で戦った宮本選手は別ブロック。
決勝で合おうと約束し、試合に挑みます。
この約束は、高校でも果たせませんでした。

1学年下の55kg級には、宮本選手の弟、功三が湘南地区を制しエントリーしていました。


初戦、2回戦と順調に勝ち上がり、3回戦ベスト16です。
試合は一進一退の攻防でしたが、場外近くで私の小内刈りが決まり、有効かと思いましたがポイントなし。
そして、判定です。


当時は旗判定ではなく、審判の協議で決着がつきました。
その判定は、私が投げたポイントを相手のポイントと勘違いし、相手の勝ちと言われてしまいました。
鎌倉市でお世話になっている先生にも、「何で負けたんだ?」と逆に聞かれる始末です。
審判の判断は絶対ですから、抗議ももちろん出来ません。


終了後、何故負けたか理解できず、最後の試合はあっけなく終了しました。
しかし、ハッキリしたポイントを取らなかった自分が悪い。
負けたことは悔しかったですが、終わってしまったな~というような感情でした。


宮本選手は決勝に勝ちあがり、私を待っていてくれましたが・・・。
決勝は、野村選手(都岡中-東海相模)に残念ながら負けました。
彼も優勝には縁が遠く、決勝までは勝ち上がるものの、2位止まりのことが多かったです。
湘南地区では、「明楽のやろ~!」、
県大会では、「野村のやろ~!」
と涙したとか(笑)



最後の試合は納得できない負け方でしたね。
どうせなら、ぐうの音も出ない負け方が良かった。



中学時代の現役はここまでです。



高校進学は日大藤沢高と藤嶺藤沢高から推薦入学のお誘いがありました。
鎌倉の中学は、藤嶺藤沢高に進学するのが、暗黙の了解だったのですが、私と入れ違いの鈴木和幸先輩が日大藤沢高でキャプテンとして活躍し、当時最強と言われた東海相模の多田隈選手を県大会で破り優勝したこと、湘南地区で戦った宮本選手が日大藤沢高に進むと思ったこと(彼は結局桐蔭学園に進学してしまいましたが・・・)、自分の柔道との相性などから日大藤沢高にお世話になることに。


このことで当時の顧問山田先生は随分鎌倉の関係者から責められたとか。
申し訳ないと思いつつも、感謝です。