インターハイの団体戦の予選が終わり、国体予選が行われます。
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写真は平成2年の国体予選のパンフレット

当時の国体は、男子の少年と成年の2つだけでした。
階級も少年は55キロ級、60キロ級、71キロ級、86キロ級、86キロ超級の5階級。
成年は60キロ級、71キロ級、86キロ級、86キロ超級、、無差別級の5階級でした。

そして少年はインターハイ予選で決勝に勝ち残った2名が二次予選にシードされ、残りの2枠を二つのトーナメントの優勝者が得られるという形式でした。

少年の各階級の出場枠は各校2名。
私の高校には71キロ級に選手が多く、同級生で4名、一つ下にも3名ほどいたと思います。
当時の私の心境としては、インターハイ予選の個人戦で負け、失意のどん底。
精神的に不安定な状況でした。

そして代表選手を選ぶ部内予選ではあっけなく敗れ、代表権を取れませんでした。
インターハイ予選の部内予選でも敗れ、その時は救済されましたが2度目はありません。

他の階級もインターハイ予選に出場したにも関わらず、出場できない選手がいました。
確か、原田、坪井の2名も出場できなかったと思います。(両名とも団体戦のレギュラーです)
と、ここまでの流れではこのまま終了ですが、出場予定の選手が直前で怪我をして出場できなくなり、私に出番が回ってきました。


会場は東海大学の武道館です。
順調に勝ち上がり、ベスト8で関東大会の無差別級個人戦のベスト16で対戦した榊原啓三選手(磯子工)と対戦。前回は開始早々に内股で一本勝ちでしたが、強いイメージがありました。今回は一本を奪えず、有効を2つほど取って優勢勝ちでした。
余談ですが彼とは40代後半で再会することができました。彼は柔道からサンボに転向し、全日本チャンピオンに上り詰めていました。時々稽古を一緒にしていますが、未だに現役にこだわり、取り組んでいる姿は素晴らしいです。その彼から、ライバルとして思っていたと言われたのは、嬉しいものですね。

そして準決勝は芹沢選手(横須賀学院)と対戦し、有効、技ありを奪い優勢勝ち。彼とは中学時代(確か1年生の時)に対戦し、負けた記憶がありますので、リベンジ成功です。

決勝は東海大相模の福田選手。
インターハイ予選で優勝候補で第1シードだった松崎選手(武相)勝ち、3位に入った選手です。
開始早々に私のプレッシャーを感じてかスルスルと下がり、そのまま場外に出てしまいます。これで場外注意を受け、私がリードします。
その後も私が優位に進め、そのまま優勢勝ちし、一次予選を通過することができました。

反対からは松崎選手が順当に勝ち上がり、後日インターハイ予選優勝の濱田選手(桐蔭学園)、宮本選手(桐蔭学園)の2名と4人で対戦することになりました。
この時、どちらかが嫌な二人が残ったなと言ったのを記憶しています。
宮本選手は中学時代に湘南地区大会の決勝で対戦し、県大会の決勝で待っていると言われ、私はベスト16で敗退。彼は決勝に進出。
高校でもインターハイ予選で決勝に進出しましたが、私はベスト8で敗退と約束を果たせていませんでした。今回、あと一歩までのところまできました。