入院生活から復帰し、稽古に汗を流しますが、11月の古田杯(秋田経済法科大学にて開催)には連れて行ってもらえず、春の選手権の神奈川県予選もメンバー入りならずと残念な状況でした。

春の選手権は第7回大会。

現在は各都道府県から代表校が決まりますが、当時は関東地区から12校選抜される形式でした。
関東大会には各都道府県の上位4校が出場できるという狭き門です。

選手権の神奈川県予選ではベスト8で桐蔭学園と激突し、大将同士の戦いに。

こちらは主将が大将。
桐蔭は同じ1年の上村選手。

これは勝負あったと思っていたら、なんと、負けちゃいました。

内股で技あり取られての完敗。
言葉が出ませんでしたね~。

関東大会の出場権は、ベスト4以上ですからね。
つまり、関東大会に出場出来ない訳です。


重苦しい雰囲気でしたよ。
しかも、こんな時に限り会場は母校の体育館。

片づけが憂鬱でしたね。


試合終了後、即合宿でしたよ!
合宿はどんなに大変かと覚悟していましたが、思いの外平穏な内容でホッとしましたね。

大晦日には日本武道館で越年稽古があるということで、みんなで行きましたが、なぜか今年から中止。
靖国神社に初詣して帰ってきました。

春の合同合宿には、日大の付属校が集まり、(日大東北、土浦日大、佐野日大等々)鹿島の神武殿という場所で開催されました。

朝練は鹿島の海岸を走り、午前午後と柔道漬けです。

この鹿島神武殿は最近見ましたが、思い出しましたね~。

鹿島港の近くでした。
この合宿の最中に、香川県の高松市で開催された西日本大会に主力メンバーは出場し、ベスト8で天理高、準決勝で熊野高、決勝で国東高に勝ち、優勝しました。

春合宿終わり、新入生も入り、春の関東大会の予選です。
ここで初めてメンバー入りです。

5人の団体戦で、前3人が71キロ以下、後ろ2人が71キロ以上という構成で行われる試合の補欠でエントリーです。

順調に勝ち上がり、ベスト8で藤嶺藤沢と激突。

藤嶺藤沢には中学時代の先輩が2人レギュラーで出場です。
3人目が終わった時点で、確か2-0でリードしていました。

しかし、ここから反撃に合い、なんと逆転負け。

関東大会出場を賭けての敗者復活戦に回り、相手はなぜか東海相模。

ここでも一進一退の攻防が繰り広げられ、僅差で敗戦。

春の関東大会は上位6校の出場だったため、この時点で出場権を失いました。

つまり、またもや関東大会出場ならずです。

この年のチームの名誉のために書きますが、決して弱くないチームです。

前述のように、春の選手権が終了した直後、高松市で開催された西日本大会というオープン大会では、レギュラーが全員出ていたわけではないですが、天理に勝ち優勝しているのです。


しかし、関東大会にはことごとく縁がないチームでしたよ。
(私も試合には出ていませんが)

最後の試合は夏の金鷲旗です。
全国各地から色々な高校が集まってきます。
私もメンバー入りしましたが、出番なし。

1回戦を勝ち上がり、2回戦でシードの東海二高と激突。

相手が1枚上でした。

あっけなく、金鷲旗は終わり、練習試合の旅へ。

しかし、相手がなぜか九州まで行ったのに藤嶺藤沢しかおらず、ちょこちょこっとやって終了です。
夏合宿は郡山で付属高校が集まり行われました。


朝練は名物の3本橋のランニング。

阿武隈川沿いをひたすら走ります。

午前、午後、夜と稽古漬け。

夏の郡山は暑さが厳しいです。夜も暑くて寝不足の日々が続きます。
色々な意味で精神的にも肉体的にも強くなりますよね。

この合宿では新技を身につけました。
腕ひしぎ腕固めです。
板の間で繰り返し研究し、練習試合で試し、後の試合の本番で決めることが出来ました。
稽古は裏切らないという感じですよね。